ガンジス川 ー生と死について考えるー INDIA
旅。
旅に求めているもの、そして旅した理由なんて、みんな違うと思う。
私は理由をつけて旅はしたくないと思ってる。理由を決めたら達成したとき、そして達成できなくなった時にその旅が嫌なものになるから。だから私は、旅をする中で感じた感情とか心境の変化を大事にしたい。
旅は何も考えず無心でその国・その町と向き合うのが私にはベストなのかなって思う。
そんな中で多くの本やブログでみかける、
「インド行って人生変わった」
世界一周をした人でも口にする。世界の規模で言うと近いインド、そして耳馴染みもあり身近に感じることができるだろう。日本からのフライト時間も9‐10時間。
そんなインドで感じる生と死、
ガンジス河・ガンガー・
3000年の歴史を誇っている「バラナシ-Varanasi-」
このバラナシには、ヒンドゥー教徒の罪を洗い流し、堂々と流れている聖なる河「ガンガー」がある。
ヒンドゥー教最大の聖地であるガンガーのガート(川沿いの石段)には、
インド中のヒンドゥー教徒が沐浴に(ガンガーで沐浴することが生涯の願い)
そしてその光景を見に来た観光客
観光客をターゲットに商売しに来たインド人
そして、老い先短い死を待つ老人たちが聖地で最期を迎えることを望みできた施設(死を待つ人の家)がある。
そんな聖なる河のすぐ近くに、
「大いなる火葬場ーMahashmashanaー」がある。
日本の火葬場のイメージとは全く違っていて、棺や火葬部屋などは無い。
人が燃やされる場所。誰でも見ることができ、
たった一枚の布に包まれた死体が薪に覆われて焼却される。
親の仕事は子供の仕事へと受け継がれ、身分がはっきりとしているインド。
無くなったはずのカースト制度。
しかしそれは、火葬場をみると無くなっていないことが分かる。
薪の多さと火葬される場所の高さで裕福さが分かるのです。
私はこの場所で、人が焼かれ匂いを、そして、
燃え尽きなが露わになる焼かれた人間を、
初めて見たとき何を感じるのだろうか。
死んだ後ガンジス河に流れることが一番の願いであるヒンドゥー教徒にとって、
火葬場での涙は縁起が悪い。
そのため女性は、ガンジス河にながれるという価値観よりも
別れの感情が強くなってしまうため男性しかいないそうだ。
灰になった死体はガンジス川に流される。
子供や妊婦、事故死による死体はそのまま河に流される。
しかしそのすぐそばで、子供たちは川遊びをし、沐浴をし、体を洗い、歯を磨き、洗濯をし、水を飲み、排泄をして、、、、、
バラナシには生と死が集まっている。
バラナシはガンガーと共にある。
日本にいる限りここで感じる感情に出会うことはできないだろう。
気づくことさえできないだろう。
生と死が目の前で混ざり合っているガンガー。
生と死の近さをヒンドゥー教徒をはじめインドの人々は知っているのだろう。
gooooodnight